エデンの島にて (underground radio)

 ”金ならある” これが私の子供の頃からの口癖だった。 この口癖のためか何時も色々なトラブルに巻き込まれてはいるが全てを金で解決してきた。 そう、金のおかげで何の不満も不自由もない暮らしを子供の頃から送って来た私だったが・・・

 ある日私の極めてプライベートなメールアドレスに、”至高にして究極のバカンスへのお誘い” というメールが届いた。 このメールアドレスは堅牢なセキュリティシステムに守られているのだが時々選ばれしVIPに対しての特別なサービスへの案内メールが届く。 大概のことに飽々している私は開封もせずに削除するのが何時もなのだが、今回は単なる気まぐれか退屈しのぎだったのかそのメールを開いた。

 南国の陽射しに輝く白い砂のビーチと煌めき透き通る青い海が無限とも思える水平線の彼方へと、そして全てが雲ひとつない無垢の碧へと溶け込む壮大な3Dイメージがいきなり飛び出して来た。 そこにはバッハの神々しいチェンバロの響き、そして碧に漂う小さな白い手漕ぎのボート。 それは神々の静寂、そしてアート。 限りなく極上の美に満ちた空間、限りなく天国に近い場所。 そんな神秘の桃源郷のイメージに抱かれ恍惚感に浸る私の耳元で囁かれるのは・・・壮大にして煌めくチェンバロの響きの向こうから、荘厳なカテドラルに寄り添う時間の深淵からの啓示でもあるかのように・・・

 「このメールを開封した聡明にして賢明なる選ばれしVIPの貴方に最も相応しい極上のバカンス。 最高にして至高の特別な選ばれるべきして選ばれた最高級の人生を送る超VIPであられる貴方が楽しむべき究極のバカンス。 そう、この究極のバカンスは天国に最も近い場所と言っても過言ではない超スペシャルにして唯一無二の空間、そんな場所にて最上級のVIPと誰もが認める貴方に最も相応しい至高にして究極のバカンス。 その体験は現世と神々の住む天上世界との境界だからこその神秘的にして幻想的、そして絶対的な至高にして究極の冒険への・・・」

 押し寄せる高揚感。 それは荒れ狂う冬の海に湧き上がる巨大な波頭のごとく私の理性を押し潰し、感情は真夏の炎天下で紅蓮の炎に煽られ空高く舞い上がるスズメバチ。 意識は無我の境地のはるか先、この世の向こう、あの世の裏側、宇宙も時空を飛び越え神も仏もスーパーAIもクソ喰らえーーー気付いた時には全ての契約手続きを完了していた。

              *

 煌めく爽やかな陽射しの下、透き通る青い海からの波が静かに寄せる白い砂の海岸に一人立ち、私をこの小さな島に送り届けてくれた飛行艇に手を振る。 真っ赤な機体に豚のマークが描かれた飛行艇は私の頭上で旋回し、これから始まる究極のバカンスを祝福するかのように翼を小さく振り碧の彼方へと消えて行った。

 「ご主人様、極上にして究極のバカンス、至高にして唯一無二のパラダイス、エデンの島にようこそ」

 突然の機械的音声、振り返った私が目にしたのは多少アニメチックな執事姿にデザインされた小ぶりで真っ白なロボットだった。

 「ご主人様のお世話をいたしますフライデーでございます。 エデンの島の主賓たる貴方様が極上にして究極、至高にして唯一無二のバカンスをお過ごしになられるエデンのヴィラにご案内いたします」

 小さな島の白い砂のビーチの反対側、青い海に切り込む絶壁の縁、南国の煌めく陽射しの下、青く萌える芝生に佇みその超モダンな造形を純白という色彩でかろうじて地表に繋ぎ止められている・・・まさに極上にして究極、至極にして唯一無二のパラダイスを具現化した純白のヴィラ。 その内側のすべても、床に壁に天井そして調度品までありとあらゆるものが純白に統一されたヴィラ。 そして完璧にコントロールされた空調の広いリビングルームの巨大な白いテーブルには銀のアイスバスケットに入れられたシャンパン、その横には小さな銀のベル。

 思わず心の声が口から漏れた、「なんて素晴らしい・・・」

 「ありがとうございます、ご主人様。 どんな些細な事でも、何かございましたらテーブルのベルをお鳴らし下さい」 そう言い残すと執事ロボットのフライデーはその姿を静かに消した。

 完璧だ。 私がこのバカンスに求めていた全てが揃っている。 契約時にオプション全てを盛り込んだのは確かだが、私自身の想像を遥かに超えた空間だった。

 子供の頃から何時も非難と嫌悪と嫉妬の眼差しを向けられ、その眼差しに対し常に冷淡な振る舞いと言動で対峙してきたのは単に私が他人に興味が持てないというだけで、それ以上でもそれ以下でもなかった。 そして全てのトラブルを淡々と金で処理してきた私にとって人生は単純で毎日が退屈そのものだった。 そんな私が退屈紛れに考えていたのがーーーもしこの世界に他人が居ないとしたら、もしそんな世界が私独りなら今以上に退屈するのか・・・そんな時に突如天空から舞い降りて来たのがこのバカンスだった。

 煩わしい他人そして彼らによって引き起こされるトラブルからの解放。 それは信じられぬほど心穏やかな時間に浸るという未知の体験、ある意味で私自身の解放そのものだった。 そして軽く銀のベルを振ればフライデーが私の望み完璧に叶えてくれる。 そんな極上のバカンスも六日目、明日は帰ろうと思っていた深夜ーーー滞在期間は無期限、当日にフライデーに告げることで送迎の飛行艇が来るというオプションを契約しているのだが。

 その夜は満月、大きな蒼い月に照らされた海の眺めは究極のパラダイス。 私は島の断崖に突き出たテラスにシャンパンをフライデーに準備させた。 本当に素晴らしい至極の時間。 最後の夜ということもあり極上のシャンパンを普段より楽しみ、酔いに任せて月明かりのテラスを歩き回る。 そんな事もあり思った以上に酔っていたのだろう。 新たなシャンパンをフライデーに用意させた私は手にしていた銀のベルを手摺に置いた。 そしてシャンパンを軽く二、三度振り、何を思ったのか手摺に置かれた銀のベルに向けてシャンパンを開けた・・・絶対に当たるはずが無いと思いながらも、もしかしたらという酔いに任せた気まぐれだったのか。

 心地よい音を月夜に響かせ勢いよく飛び出したコルク。 綺麗な放物線を描きコルクは銀のベルへと。

 テラスの向こうへと吸い込まれるベル、そして手に握られたボトルから溢れ出るシャンパン。 私は只々呆然とその様子を眺めたーーーあたかも映画の一場面を眺めるように。 私が初めに思ったのは、溢れ出るシャンパンを片付けるためにフライデーを呼ばなくては・・・そして銀のベルを思った。

 慌ててテラスの縁から下を覗くが見えるのは数十メートルの崖の下、満月に煌めく波頭。 銀のベルを見つけることは不可能と悟った私はフライデーの待機する執事室へと向かう。 初めて入るその部屋は、部屋というよりも無意味な広さを白い色彩で埋め尽くした空間。 唯一あるものが白い壁の充電装置に収まった白いフライデー、それ以外には何も無い。

 私はフライデーに声をかける。

 無反応。

 恐る恐るフライデーに触れ、軽く揺すってみるが・・・

 全く反応しない。

 思わず力任せに蹴ったが充電装置に固定されたフライデーはびくともしない。 そして私は蹴った足の痛みに悶絶する。 痛みで素面に戻った私は改めて辺りを見回し部屋の奇妙さに驚いた。 ”無の空間” それ以外に表現しようのない部屋。 床、壁、天井が、目に映る部屋の全てが白く無意味に広い何も無い部屋。 

 だが、それにしても奇妙だ。 私がフライデーに何かを頼んだ時、例えばディナーを頼むとこの執事室に超高級レストランの厨房があり超一流のシェフがたった今調理したかのような至極のディナーがこの部屋から運ばれて来る。 そう、フライデーは私の望む物をこの部屋から待たせる事なく運んで来る。 しかし今私が目にしている執事室は白い壁の充電装置に立ったまま固定され動かない小ぶりの白いロボット、そして白い壁に開いた一ヶ所の出入り口。 それ以外に何も無い、他の部屋に通じるドアも、操作パネルらしきものさえも無いキズひとつ見当たらない壁と床と天井だけの空間だった。

 私は軽い目眩を覚えた、そして・・・、次の瞬間、私は背中に冷たいものを感じた。

 私を取り囲むのは白の空間、それは限りなく無機質。  まるで0と1とで構成されたデジタルの世界。 私自身さえも0と1の数列でしかなく、そして同時に異質な存在・・・全く動かず無反応のフライデー、その頭部に付けられた無機質なレンズに映る私の姿は白い世界の異物でしかなかった。 

 恐怖が突然私を襲った。 フライデーが動き出し私を異物として排除しようとするのではないかとの思いに、私はヴィラの外へと飛び出した。 振り返った後には満月に浮かぶ純白の巨大な建造物。 パラダイスだったはずのヴィラが、望むすべてを叶えてくれるエデンのヴィラが具現化された恐怖として私を押し潰そうと迫り来る。 沸き上がる畏れに慄き私は海辺へと走り出した。

 飛行艇が私を送り届けた白い砂のビーチまで走り続けた。 咽せるほどに息を切らしながら振り返り、私を追うものが無いことを確認し少しだけ落ち着いた。 激しい喉の渇きを覚えたが、それと同時に絶望的な状況であることに気付くのにはそれほどの時間を必要としなかった。 絶海の孤島。 ヴィラ以外にこの小さな島にあるものといえば砂と岩、そして乾いた地面に多少の植物。 もちろん湧水などあるわけでもなく大海に浮かぶ筏に等しい。 そう、この島はあのヴィラとフライデーによって ”エデンの島” として存在し得たのだ。 しかも私は外界との通信手段を一切持たない。

 無慈悲と絶望ーーーこれがこの島としての実在。 渇望する一杯の水さえ手にできず、日が昇れば暑さを避ける日陰さえ無い。 私が唯一無二と信じる金、キャッシュをどれだけ積み上ようがまったく無意味な世界。 現実としては絶対にあり得ないと思っていた物語の世界、そんな世界に現実として直面した私は底知れぬ恐怖に戦慄した。

 ヴィラに戻ることも考えたが、沈黙を保つヴィラは不気味だった。 銀のベルを失うことでヴィラのAIシステムから切り離されたと考えると、私の存在はAIにとっては排除すべき異物と認識されている可能性もあり得る。 あの無機質な白い空間で突如背中に感じた冷たい何か・・・、多分・・・、AIに私がゴキブリや鼠のような有害生物として殺処分の対象とされていると感じたからではないかと・・・あの感触が私の手足を麻痺させる。 この孤島で、このエデンの島で生きる術をまったく持たない私。 そんな絶望に押し潰されながら砂浜に座る私の目に映るのは満月に照らされる小さな白い手漕ぎのボート。 一番近い島でさえ飛行艇で数時間の距離にあるこの島、小さな手漕ぎのボートでの脱出など絶対に不可能なのは分かってはいるが・・・しかし。 しかし、小さな白いボートから視線を外せない・・・

 

 

 

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