「なんて暑さだ、クソガキが」
朝から登るこの坂道に終わりは見えず、足の痛みだけが増す。
この坂道の終わりに住むという老人を尋ねようと思ったのは、一ヶ月ほど前だった。 ちょっとした気晴らし、軽い思い付きだった。 しかし今は、その思い付きをひたすらに後悔している。 正直に話せば、昨夜ホテルで老人の庵までの道を聞いて、少しだけ後悔していた。 今朝、この坂道を目の前にした時には、ずいぶんと後悔した。 そして俺は今、心の底から本当に後悔している。
この俺は、何て愚かなことを思い付いたのかーーーそんな事を思いながら踏み出す一歩は・・・、「クソガキが!」
「僕のこと、呼んだかい?」
「えっ?」
人の気配などまったく感じなかったこの坂道で、突然子供の声。 驚きとともに辺りを見回せば、俺の足元に子供が一人しゃがんでいた。
「子供・・・」
「子供じゃなくて、クソ餓鬼だよ」
「わっ!」
俺は驚いた。 子供の頭の上には、どぐろを巻いた巨大なクソが乗っている。 一週間の便秘で立派に成長したとも思えるような巨大なクソが、子供の頭の上で行儀良くとぐろを巻いている。
マジに驚いた。 そして俺は、ホテルのオヤジの話を思い出したーーー坂の途中で時々、何かが現れる。 それは俺の心を形にした何かが・・・それは男の姿をしているか、あるいは女の姿をしているか、もしかしたら、それは妖怪かもしれないと。
改めてもう一度言うが、立派にとぐろを巻いた巨大なクソが頭の上に鎮座している、子供・・・幻覚? 妖怪?
暑さと疲労で俺は、子供の頭の上に巨大なクソの幻覚を見ているのか・・・それともマジの妖怪? まあどちらにしても、俺はイジメとは思われたくないので、頭の上のクソには触れないことにした。
「なんだ、ガキかよ」
「悪かったね、おじさん。 すぐにやらしてくれる女の子でも期待してたんだろう。 ねぇ、図星だろう?」
「なっ、なにが!」
「でもさぁ、おじさんが、僕のことを呼んだんじゃないか」
「呼んだ?」
「そうさ、”クソ餓鬼、クソ餓鬼”てさ。 違う?」
ムカつくクソ餓鬼だーーー相手がたとえ妖怪だろうが子供だ、多分。 いっそ蹴飛ばしてやろうかと思ったが、とぐろを巻いている巨大なクソが気になって、止めた。 蹴飛ばし拍子に、クソが足に飛び散ったら最悪だ。 まあ、怖いというよりも臭そうなヤツ・・・胡散臭くて、汚そうなクソガキ。 とにかくヤツが妖怪だろうが、俺の心の化身だろうが、まったく興味はないし、クソを頭に乗せたガキとは絶対に関わりたくはない。 俺はクソ餓鬼をシカトすることにした。
それにしても陽射しが強すぎる坂道。 暑い。 あとどれだけこの坂を登らなければならないのか、見当もつかない。 ホテルのオヤジは三時間と言っていたが、そろそろ昼過ぎだろう。 だが目印となる竹林など、その影さえ見せない。 見えるものといえば、乾いた赤土にしがみつく、わずかばかりの雑草。 そして誰が積んだのか、所々に積まれた小石の小山。 その間を縫うように続く坂道の向こうには、青すぎる空。
俺が無視しようが、クソ餓鬼は黙って後ろについて来る。 勝手に妖怪のたぐいと決め付けたが、このガキは本当にそうなのか・・・だが、こんな場所に一人、しかも頭にはとぐろを巻いた巨大なクソを乗せている。 まあ、真面目なガキとは思えない。 しかしそのクソ餓鬼は、捨てられた子犬が人恋しさに誰かの後を追うように、俺の後ろをついて来る。 そう思うと、このクソ餓鬼が不憫に思えてきた。
「おい、なんで俺についてくる?」
「坂を登るだけじゃ、退屈かと思って」
「退屈? 俺が」
「そう、おじさんが」
「お前が、退屈してたんじゃないのか?」
「ぜんぜん。 おじさん、考えてみなよ。 とぐろを巻いたクソが頭に乗ってて、退屈すると思う?」
「あっ、ああぁぁ・・・」
俺が避けようとしていた話を、いきなり口にしたのは驚いた。 確かに、頭の上にクソが乗っていたは、退屈している暇はないだろう。 周りの目も気になるだろうし、重さも結構ありそうだ・・・まあ、起きてから寝るまで色々と大変だろう。 とにかく本人が頭の上のクソの話を始めたのだから・・・
「なんでお前、頭にクソを乗せてんだ?」
「乗せてんじゃなくて、乗ってんだよ」
あまり変わらないような気もするが、本人にとっては大きな違いか・・・自分の意思で乗せているのではなく、クソが勝手に乗っているとでも言いたいのか。
「で、なんで、クソが頭の上に乗ってんだ?」
「頭のテッペンに、ケツの穴があるからだろう」
「はっ?」
冗談のような受け答えに、俺は言葉に詰まった。 そしてたぶんクソ餓鬼には、唖然とする俺の顔が笑っているように見えたのだろう。
「なにか、可笑しい?」
「えっ、いや、別に・・・」
「おじさんの頭には、無いの?」
「あぁぁ・・・、無い」
「そうなんだ、無いんだ」
俺の頭の上にケツの穴がないことを知ったクソ餓鬼の、なんとも寂しそうな口ぶり。 やはり頭の上のクソを気にしてるのだろうーーー妖怪だろうがなんだろうが、気にして当然だ。 ケツの穴だけなら帽子でも被れば分からないだろうが、あれだけ大きなとぐろを巻いているとなると、まあ何だ・・・、とぐろの上に帽子を乗せたクソ餓鬼の姿を想像すると、笑いを堪えるのがやっとだ。 だいたい、クソを頭の上に乗せていて臭くないのか。 俺なら絶対に、グレている。
そんなことを思うと、この先クソを頭に乗せた子供、たぶん妖怪に、もう一度会えるとは思えないので、色々と聞いて見たかった。 しかしクソ餓鬼の寂しそうな顔を見て、さすがにためらった。 俺は話を変えた。
「ところで、この坂の向こうに家があるだろう?」
「でも、後家さんは住んでないよ」
「後家さん? それにしてもお前、ずいぶん古い言葉を使うなぁ」
「これでも、おじさんよりは、ずっと長く生きてるんでね」
あっ、このクソ餓鬼はやはり妖怪だったのか。 まあ、訪ねる先が老人ではなく、三十五、六の色白、多少肉感的な未亡人の独り住まいならと、妄想しないでもないが・・・妖怪相手に本音を話しても仕方あるまい。 もしかしたら、妖怪なら俺の妄想を叶えてくれるのではないかと、思わないでもないが、子供の姿をしてクソを頭に乗せたような妖怪では、まあ無理か。
「で、その家まで、ここからどのくらいだ?」
「そんなに、あの老人に会いたいの?」
「そのために、ここまで登って来たんだ」
「おじさん、途中に小石を積んだ、山が沢山あっただろう。 ほら、そこにもあるけど・・・、誰が積んだか知ってる?」
気付いてはいたが改めて見渡せば、あちこちに小石の山が。 滅多に人が通るとも思えないこんな場所に、その数百とも二百とも。 賽の河原でもあるまいし、いったい誰が積んだのか・・・このクソ餓鬼か。
「お前さんじゃないのか?」
「いや、僕じやないよ。 この先に住む、老人に会いに来た人達さ」
「何でまた?」
「・・・さあねぇ。 石を積んだのは、ここから引き返した人達さ。 たぶん、ここまで登ってきた証じゃないの。 で、頭の上に乗せいたクソが大きかった人ほど、大きな山を残して行くけどね」
クソ餓鬼は言葉を終えると同時に、跳ねるように行ってしまった。 そして突然、俺は頭の上に結構な重さを感じた。 何かと思い、手を頭の上にーーー愕然とした。 俺は思わず膝を折、地べたに座り込んでしまった。
頭の上で、巨大なクソがとぐろを巻いている。