1979年の春のような夏のようなそんなある日、俺は日本を出ることにした。 ここ数年の間に友達の何人かが警察に捕まったり、自身のパンクバンドが絶対に売れないことを確信したり、彼女と別れたりとか細かい理由は色々とあった。 しかしまあ日本の生活に息苦しさを感じ、居場所を変えようと思ったのが一番大きな理由になるだろう。 せっかく陽気に惑わされ後先何も考えずに決めた以上、このまま勢いに任せて何も考えずに準備をするだけだ。
以前東京に息苦しさを感じ東京脱出を決めた時は持ち物も少なく手に入れた車に多少の本とギターを積み、友達と二人気軽に何処かに行こうと車を走らせることが出来た。 しかし今回は多少事情が違った。 東京から移り住んだ北陸金沢ではパンクバンドをやっていたこともありバンド機材に大量のレコード、そして車などを整理しなくてはならないものが沢山あったが粗大ゴミにするには惜しいということで・・・
「やあトコマ、日本を出るんだって?」
「ああ、で、フレットレスベースを欲しがってたよな。 俺のベースギターをやるから改造しなよ」
「マジか! 確かフェンダーのジャズベだったよな」
「ギター以外は皆んなに配ってる」
「レコードのコレクションもか?」
「面倒だからまとめて寺田屋に置いてきたよ」
「じゃ、あのキャンピングバンは?」
「成田に向かう途中で、東京の知り合いに渡す」
それなりの音楽機材だったこともあり誰もが喜んで貰ってくれ、身辺整理は意外と簡単に済んだ。 そして年明け、一月中旬のネパール、カトマンズ行きの片道チケットを手に入れた。 そして忘れてはならないのがパスポート。 賞罰無しの俺は当然すんなりとパスポートを手に入れられると思ったが、パスポート申請したいのなら銀行の預金証明書を出せと外務省が要求する・・・貧乏人は日本から出さないというそんな時代でもあった、1980年。 ちなみに1ドルは240円の固定相場。
「それで何処に行くつもりなんだ?」
「西に行く。 とりあえずカトマンズまでの片道切符を買ったよ」
「冬だしな」
「ああ、インドで春を待ってその先は、その時に考えるさ」
日本列島から北に向かえばシベリアの先は北極海、南に向かえばカンガルー島で行き止まり。 選択肢は西か東になるが、冬なのでとりあえずは当時流行っていたし暖かそうということでインド、ネパールへと。 早い話がミーハー的に西へと決めたが日本脱出が目的なので方角に悩んでも無意味だろう。
「最終的には、ロンドンでパンクバンドでもやるのか?」
「日本じゃない何処か、ということで。 まあ金沢に来た時もそんな感じだったしな」
「ところでトコマ、インドとかロンドンとかが何処にあるのか知ってるのか?」
「大丈夫だ、サンチャから高校の世界地図を貰ったんで」
インドといえばラヴィ・シャンカール、ジョニー・ロットンがイギリスでニナ・ハーゲンがドイツ、ルー・リードはアメリカというぐらいしか知らない俺だから深く考えても無駄だろう。 とにかく飛行機に乗って日本脱出が先と、成田空港から高校の世界地図を頼りに飛び立った。
俺の初めての飛行機の旅、そして初めての海外旅行。 とりあえずは無事にネパールの首都、カトマンズの空港に到着はしたが・・・、英語といえば、”ディス・イズ・ア・ペン” ぐらいしか知らない俺だが、この先このフレーズを使うことがあるのだろうかと思いながら原っぱの向こうに見える田舎のバスターミナルのようなネパール国際空港の建物を飛行機の窓から眺めていた。