ホテルをチェックアウトし早朝のアムステルダムの街に出る。 久々のアムステルダム、いくら慣れているとはいえ帰路はやはり緊張する。 空は珍しく晴れていて、そして空気は冷たいーーーその空気の冷たさが緊張感をより鮮明にする。 その緊張感が退屈平凡と思われがちなビジネス旅行が実は冒険旅行だということを思い出させてくれる。
朝の自転車通勤ラッシュには遭遇するが、電車通勤地獄の話を聞いたことがないオランダ。 意外と閑散としたアムステルダム・セントラルステーションでブリュッセル行きのインターシティを待つ。 そしてこの静けさがこれから始まる冒険への緊張感を高めてくれるのも嬉しい。
さすがはギリシャとはひと味違うオランダ、インターシティが時刻表通りにホームに入ってきた。 そして何時ものように閑散とした車両に乗り込み空いたボックスシートに席を取る。 他の数人の乗客もそれぞれが離れたボックスシートに静かに沈み込んでいる。 アムステルダムからベルギー、ブリュッセルへと、インターシティでは煩わしい国境通過の儀式は一切ない。 車内でしてまえば目覚めた時にはフランスということもあり得る、平和な日常世界。 だが俺は冒険旅行の真っ只中・・・そう、この安心安全の日常世界とのギャップがまた嬉しい。
そして今、スリルとサスペンスに満ちた冒険旅行のクライマックスへの幕開け、インターシティは俺を乗せアムステルダムを静かに離れる。 目指すはメインイベントが始まるブリュッセルエアポート、そしてギリシャ入国へと続く。 朝ということもあり未だにテンション爆上げとはいかないが、それなりに気分は上がる。
そう、俺は自意識過剰のなりきりヒーロー!
先ずは五感を研ぎ澄まし車内の状況把握、自身の手荷物確認に身だしなみチェック。 軽くポーズを作り車窓を眺めながらエアポートでの行動をシュミレーションをしてみたり、時には足を静かに組み替え車内に軽く視線を走らせ再び車窓に目を移したりと・・・拘るのは大昔のハリウッド映画での立ち振る舞い、冒険映画のヒーロー達の様式美が俺のテンションを爆上げへと向かわせる。 そして調子に乗り始めた俺は電車の揺れに合わせて体でリズムを取り、立ち振る舞いの様式美に色を添えてみる。
えっ!
奇妙な視線が俺に突き刺さる。
なっ、何だ! 俺のサバイバルセンサーがアラームを鳴らしている。
俺は視線の隅で車内を探る。
車両前方連結ドア脇のボックスシート、通路側に座る一人の男が気に掛かる。 がら空きの車内で窓際ではなく、何故か通路側に座り視線を車内に泳がせているは違和感でしかない。
気になる。
俺は爆上げテンションをゆっくりと下げ、ザックから本を一冊取り出しページを広げる。 別に読書をしたい訳ではないが不自然さを与えずに気配を消すには最高のアイテムだ。 目で文字列を追うがしばらくは意識を男に向け様子をうかがう。 男の隠された視線が徐々に俺から離れていくの感じながら俺は意識をより本の文字列へと移していく。 この列車はインターシティ、国際列車。 インターシティには私服のカスタムインスペクターが稀に同乗していることを小耳に挟んだことがあり、アムステルダム経由のパリ終着ならば色々な意味でそれも当然だろう。
俺の意識が完全に男から離れた頃、本を読み始めて二十分ぐらい後に車掌が改札に現れた。 男の意識が俺から離れていることを確認し、車掌に注意を向けるふりをしながら男をうかがう。
男は車掌にチケットを見せる代わりに黒い手帳を見せ、何かを聞いている。 車掌は淡々と答え、離れぎわに軽く挨拶を交わし俺の席に向かって来た。 俺はもちろん視野の隅に男の姿を捉えながら笑顔で車掌にチケットを見せる。 男の注意は俺から完全に離れリラックスしているーーー大丈夫だ、俺は確信した。
オランダでも、もしボディーチャックで隠し持った1キロの商品が見つかれば籠の鳥は確定。 やはりビジネス旅行は退屈平々凡々に徹するのがサバイバーとしての王道なのか。 まあそれでも冒険旅行を楽しみたくなるのは俺の性だろうが、しかしテンション爆上げはどうしても余計な注意を引いてしまう・・・とにかく気を付けよう、お互いに!