1980年代の初め、エジプトからスーダンへと陸路で入るには二泊三日の船旅でアスワンからダム湖を遡るか、ラクダかトラックでひたすらに数千数万の砂丘を越えて行くしかなかった。 船が一般的な選択肢になるのだが、その週一便の船にも壊滅的な問題点は残っていた。 まず乗客用のキャビンがない。 もちろん食堂もなければ売店も飲料水さえもない。 乗客は三日分の食料を持ち込み水は川から汲み上げ、甲板にごろ寝する。 そしてトイレといえば船の縁から突き出た板に少しの囲いがあるだけ、落ちたらそのままアスワンダムまで流されて行く。 だがそれでも灼熱の砂漠を越えることを考えると絶対的に快適安全、しかも超絶的に早くて安い。
そう、アスワンから先が本当の意味での楽しい楽しいアフリカ冒険旅行となる。
そしてそんなアフリカ旅行を楽しむ前にしなければならない事がある。 それはスーダンの入国ビザをもらうためにエジプトで一ヶ月ほど待つことだ。 これはアフリカ冒険旅行を考える旅行者に、先ずは体のコンディションを整えろというスーダン大使館の親心なのだろうと素直に従うのが賢い旅行者の心構えだと思うのだが。
ということでエジプトで旅行者が最も過ごしやすい、言い方を変えるならば七月のクソ暑いエジプトでグダグダと毎日を怠惰に過ごせる田舎アスワンで時間を潰すことにした。 アスワン、この町はリビヤ砂漠とヌビアン砂漠との境界にありナイル川沿いということで比較的涼しいと言われるが、考えてみれば1キロほどの川幅のナイル川が砂漠の名称変更の視覚的な境界線になっているだけで巨大砂漠の真っ只中なのには変わらない。 暑い、ひたすらに熱い!
そんな季節外れのアスワンの安宿。 そんなクソ暑いエジプトの田舎アスワンで只々グダグダと毎日を過ごすだけを目的とした、そんな変態的な長期滞在型旅行者も稀にいる。 グダグダとした毎日を過ごす者同士、すぐにグダグダとした毎日を一緒に過ごすことになっても不思議ではない。 安ホテルの部屋は暑い、ローカルのカフェに行っても暑い。 そして田舎の街並みを散策すれば砂漠の熱い風が生きたまま干物にされるというホラーを体験させてくれる。 ということで俺たちの避難場所になっていたのが小さな旅行代理店のオフィスだった。
「なあジェフ、このオフィスで一日中座っているのも体に良くないと思わないか?」
「アンタに言われたくないな、トニー」
「ここに座って客を待つのは俺の仕事だ」
「でも涼しいし、楽だし文句はないだろう」
「それは違うぜ、バジール。 この時期客は来ない。 アンタらが来なかったら俺は、退屈で病気になってるぜ」
ほとんど毎日旅行代理店のソファーに座っているベルギー人のジェフ、俺とマリ、そしてイギリス人のトニーがアスワンで旅行代理店を始めた時からの友達で時々店に顔を出すエジプト人のバジール。 いつものように無駄話で時間を潰す。
「なあリマ、風の塔に行ったことは?」
「行ってないわ。 それ、どこにあるの?」
「川の向こう側だ。 いつも風が吹き抜けているので、そう呼ばれている」
「あそこは最高だ」
「なあバジール、明日叔父さんは船を出せそうか?」
「明日なら大丈夫だ」
「それなら明日、皆んなで行かないか。 明日は臨時休業だ」
早朝のナイル川、青ナイルからの碧を含んだ水面を流れる風は未だに慈愛を残し小舟に揺れる俺たちにアスワンの別の顔を見せてくれる。 それは途絶えることのない命の営み、そして一瞬とも無限とも思える時間の流れ。
バジールが大きなジョイントに火をつけ、大量の煙を吐き出す。 ジョイントをリマに手渡し、そして・・・
「これがナイル川の真実さ、素晴らしいだろう」
誰もがバジールの言葉に頷く。 バジールと同じように誰もがジョイントを大きく吸い込み、そしてナイルの風の流れに乗せるかのように大量の煙を吐き出す。 それを見ていたバジールの叔父さんの微かな笑い声が煙を乗せた風を追いかける。
河岸から砂丘を登ると、そこには四方にアーチを開けた崩れかけの小さなドーム。 それがリビヤ砂漠の東端に位置する風の塔。 振り返れば眼下にナイルの大きな流れ。 青い水面を越えた向こうにアスワンの市街、そしてヌビアン砂漠が地平線へと繫がる。 ここはサハラ砂漠の真っ只中、五千キロ向こうの大西洋からモロッコ、アルジェリア、リビアの砂漠を越え、そして紅海、ルブアルハリ砂漠へと向かう風の通り道。 今俺が佇む風の塔、地平線の向こうへと続く巨大な砂丘の連なりを越え俺の横をすり抜ける風は大地の言葉、数十億年の時間。 そう、この場所から見えるのは悠久の時間、そしてその意志は俺に迫る・・・Are you ready?