ミュンヘン、二日目。
早朝、地図で確認していたポリスステーションに向かう。 受付開始時間よりも早めに着いたのだが、すでに多くの人が並んでいる。 しかも申請書に書かれているレギュレーションを読んで驚いた。
一日を三分割した上で、それぞれの時間帯に定員がある。 並んでいる人数を大雑把に数えて、定員内ではあるがベストな時間帯は取れないだろう。 さすがは超有名観光地、ライバルは多い。
辛うじて取れたのが、最初の時間帯。 それにしてもミュンヘンは大誤算だった。 この街のレリュレーションでは、一日に数時間しか路上に立てないーーーおそらく数時間の稼ぎではホテル代、食費を考えると赤字になるだろう。
決めた!
すぐにホテルに戻って、チェックアウトしよう。 昼の一時にはタイムアップとなるので、そのまま駅に直行し、次の町に移動することにした。
さて、ミュンヘンではどのくらい稼げるのか・・・期待は出来ない。 朝の時間帯、相手は朝ボケと二日酔いの頭痛に顔をしかめた観光客。 渋い、というか当然ホスピタリティーなど持ち合わせていない。 考えても仕方がない、とにかく時間内に稼げるだけ稼ごう。
予想どおりメッチャ渋い。 予定に追われたお疲れ顔、無表情の観光客が朝の石畳にボロボロの足を引きずっている・・・人畜無害のゾンビの行列が、目の前を通り過ぎていく。
出稼ぎバスキングではカップに投げ込まれたコインが鳴らす、”チャリン” という音を励みに五時間、六時間とフルートを吹き続ける私だが、コインの音がしないーーー疲れる、ひたすらに疲れる。 一時間が、二倍にも三倍にも感じる。 ひたすらに、ひたすらに、ただただ疲れる。
結果は惨敗。 三時間のバスキングで、10マルクに届かない。 アベレージの三分の一以下だ。 駅に向かおう、気分は最悪ーーー私もゾンビの行列に加わり、石畳に足を引きずることとなった。
駅で路線図を眺め、どこに行こうか考えるが気分はどん底。 以前に訪れたこともあり、それなりの結果を残せた町も考えるが、気分はまったく浮上しない。 目の前の路線図は、まるで地獄巡りの案内図。 そして駅に溢れるのは、地獄めぐりを課せられ、行列をなし足を引きずるゾンビの集団。 世界が深い闇に沈んでしまったような、そんな光景が私を押しつぶす。
光を探すーーー頭の隅々まで覗き込み、光を探す。
あった!
光が見えた。 深い闇の遥か向こう、かすかに見える青い空と、碧い海。
そうだ、ギリシャに帰ろう。
駅のチケットカウンターに向かう。
「今日の、アテネ行き、寝台、セカンドクラス、一枚お願いします」 チケットカウンターで叫ぶ。
「夕方にアテネ行きがありますが、寝台のセカンドクラスは売り切れです。 ファーストクラスの寝台なら・・・、どうします?」
即決! 青い空と碧い海へのチケットを、私は手にした。
やはりファーストクラスは快適だ。 コンパートメントには二人、そして相席になったのはオージーの旅行者オヤジ。
さすがはカンガルー大国のオージー、話すことが跳ねまくっている。 彼の話では、彼はワニに襲われた観光客、アメリカの金持ちご婦人を助けたとかーーーまあ観光客は、無邪気に信じがたい行動をするもので、記念写真を撮ろうと、ワニの頭でも撫でようとしたのか。 そんなアメリカのご婦人だったが、彼女は命の恩人に感謝感激号泣し、彼に多額の謝礼を送ったそうな。 そのお金で彼は、気ままなヨーロッパ旅行をしているとか。
おそらく彼は、私の瞳の中の猜疑心のカケラを見つけたのだろう。 荷物の奥底から、当時の新聞記事を引っ張り出し、私に見せてくれた。 そしてこの記事が、映画クロコダイルダンディーの元ネタになったらしい。
話の真偽はともかく、アテネ行きの列車でいきなり奇妙なオージーとコンパートメントが一緒になったことで、私はゾンビが住む深い闇から浮上しつつあることを知った。