黄色い小さなカップは、携帯ATM

 九月終わりのクレタ島。 ハイシーズンのカオスからだいぶ落ち着きを取り戻した、ハーニアのオールドタウン。 午後の気怠さに誘われて、ベネチアン、ハーバーをぶらついてみる。

 「ヘイ! トコマ」

 俺を呼ぶ声に、辺りを見回す。 ハーバーの端、道端に座り込んでいる集団に知った顔があった。

 「ハイ! ジーノ」

 ジーノとは三週間前にクレタ島の南側、小さなビーチのカフェで出会った。 俺がクレタのメインポート、イラクリオンでのバスキングで多少まとまった金を作り、島の南側をふらついている時だった。 ビーチのキャンプサイトに長居していた彼は、辺りの面白い場所を教えてくれ、一緒に楽しい時間を過ごした。

 「久しぶりだな、ジーノ。 ここで何してる?」

 「今夜のフェリーに乗るつもりで朝、皆んなで一緒に出てきた」

 ジーノは一緒にいた女の子二人と、男三人を紹介してくれた。 皆んながそれぞれ、帰る国が違っていた。

 「で、アテネからは、バスか?」

 「いや、パトラスまで電車で、ブリンディシュからはヒッチさ」

 「ミラノまでだと、結構あるな」

 「慣れてるし、イタリアーノは乗せてくれるぜ」

 「ああ、確かに。 メシでも食いに行かないか、奢るぜ」

 ジーノは一緒にいる連中に目をやったーーー彼が友達を置き去りにして、俺とメシを食いにいくようなヤツではないことは知っている。 おそらくカフェに入る金がなくて、道端で暇をつぶしていたのだろう。

 「心配するな。 忘れたか、俺はバスカーだぜ」

 ジーノが笑った。

 今朝ホテル代を三日分前払いしたので、手持ちはそれほど無かった。 しかし気まぐれにでも、気が向いたら公園の日陰でバスキングをしようかと思い、フルートを持って来ていた。

 愛想の良さそうな女の子、エマに声をかけ、彼女に役割を簡単に説明する。 そして残った連中には、三十分ほど待ってくれるように頼んだ。 俺はフルートを取り出し、エマには黄色い小さなカップを渡し、ベネチアン・ハーバーにテラス席を並べるカフェ、レストランに向かった。

 普段は路上に立つが、今回はジーノ達を待たせたくないので効率よく稼ぐ。 そう、ハーバーのテラス席を端から順に、バスキングしながら進んでいく。 

 ある程度客が座っているテラス席の前に立ち、勝手にフルートを吹き始める。 客もウエイターも別に驚かない。 まあ、普通にあることなので・・・もし驚くとすれば、フルートでのバスキングが珍しいことか。

 五分ほど演奏して、エマに目で合図を送る。

 彼女には初めての経験だろう。 多少ぎこちない笑顔でカップを差し出しながら、テーブルの間を回る。 やはり可愛い女の子の笑顔は最強だ。 特に若い男達はエマの笑顔に引きずられ、気前よくチップをカップに入れていく。

 「エフカリスト」

 エマはギリシャ語で礼を言い、ぎこちなかった笑顔が自然な笑顔へと変わっていく。

 何軒かを繰り返すとエマもすっかりと慣れ、フルートの演奏に合わせ舞うような優雅さでテーブルの間をすり抜けていく。 どうやら俺の勘、彼女に演技者としての素質があるだろうと感じたのは当たっていた。

 「グッジョブ!」

 「とても楽しかった、クレタでの最高の思い出になったわ」

 エマの目はキラキラと輝いていた。

 「皆んなのメシ代、ワインも確保したぜ」

 俺たちは皆んなの所に戻り、エマは興奮気味に結果を伝えるーーー皆んなに笑顔が広がる。

 「ジーノ、この辺りは高い、市場の方に行こうぜ。 向こうならワインを足してもお釣りがくる」

 「それがいい、美味くて安いしな。 サンキュー、トコマ」

 偶然知り合ったヤツらだけど、これで楽しい別れができるーーーまあ、俺の黄色い小さなカップは時として、携帯ATMにもなるということだ。

 

 

 

 

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