ドアは開かない。
三週間ほど前に、バールでドアをこじ開け住み着いたこの家。 このブロックは来年早々のリノベーションが決まっており、住めるのは長くても半年ということで、鍵は付け替えなかった。 代わりに、ドアの郵便受けから手を突っ込み、ロックが外れるように紐を付けていた。
その紐が外れている。 色々と試したがドアが開けられない。
最終手段として、三度、四度ドアを力任せに蹴飛ばせば開くだろうが、壊れたドアの修理が面倒だ・・・かと言って、蹴飛ばし壊したドアをそのままにしておくのも、色々と考えものだし。
イラつく気分を抑えようと縁石に座り、ジョイントを巻く。
まったく人気のない通り。 リノベーションの決まっているブロックに住む人もなく、一階の窓にはベニヤ板が打ち付けられ、ゴーストタウンのようだ。 それはそれで、心が落ち着く。
最近どうもツキがなく、教会の無料食堂を利用することも多々ある。 天気も、なんとなく毎日雨が降っているような。 ”バットウエザー・フロム・イングランド” そんな言葉が・・・
通りの向こう、角に人影、男が一人こちらに歩いてくる。 何処かで見かけたことのあるような顔、そして風体・・・教会の無料食堂か、路上か。 この数ブロック先にある、ハードドラックの販売所に向かうのか。 しかし男は、ジャンキーとは少し雰囲気が違う。 意外と若いか、二十歳過ぎぐらいか。 静かな足取りだが、それでいて生気がある。 どこか懐かしさを感じさせるような・・・そうだ、久しく忘れていた南欧の風、そんな煌めき。
男が俺の前にさしかかる。
軽く挨拶をする。 男も軽い笑みと共に、挨拶を返してきた。 まあほとんど毎日、街でバスキングをしている俺だ、俺の顔を知っているのかもしれない。
五軒先で男は止まり、ドアを開けようとしている。
ドアを開けた男に声をかけた。
イタリア語訛りの英語が返ってきた。
「悪いが、ちょっと頼みがあるんだが・・・」
「俺にできることなら」
「そこに住んでいるんだが、鍵がトラブってドアが開けられない。 それで屋根から入りたいんだが、アンタの所を使わせてくれないか?」
「そんな事なら、俺の所を使ってくれ」
男は快諾し、俺を家に入れてくれたーーーこれでドアを壊さずに済む。
リノベーション待ちの空き家、全く人の気配を感じさせない暗く狭い階段を三階へと。 そして屋根裏部屋へと一気に登りる。 そこで俺の足は止まった。 突如、異次元に飛び込んだような感覚・・・そこには、思いもよらない不思議な空間が。 そこは確かに空洞のような、空き家の屋根裏部屋。 しかしそこには、外界とは隔離された別世界があった。
部屋は柔らかな光に満ち、そして穏やかな暖かさに包まれていた。 部屋の奥、床に置かれた大きなクッションに体を沈め、静かに佇む女性。 少女の透明感を残した女性、その腕には純白のタオルに包まれた赤子が。
俺は驚き、戸惑いながら挨拶を彼女に、そして俺の横に立つ男の顔を見た。
男の目は優しく、その優しさで俺の突然の訪問がなんの問題もないことを彼女に伝えていた。 彼女は軽く首を傾げ挨拶を返し、腕の中で静かに眠る赤子を優しく揺すり、微笑んだ。 すると赤子は大きく欠伸をし、再び静かな眠りへと。 そんな彼女の姿は・・・
俺は屋根へと出られる窓に目を向けるーーー窓の向こうには、青い空。 いつしか空は、晴れていた。