ベアフット・ジョン

 私がベアフット・ジョンに会ったのはメキシコ、パレンケ遺跡近くのキャンプサイト。 そのサイトは、茅葺のあずま屋の柱にハンモックを吊るして寝るという、いたってシンプルにして快適な仕様になっていた。 もし問題があるとすれば、天井の茅から時々サソリが落ちてくるぐらいか。

 ベアフット・ジョン、彼はカナダ人の46歳、オールドスクールヒッピー。 そしてパレンケといえば、オールドスクールヒッピーにとっては遺跡よりもマッシュルーム、美しいウオーターホールに自然のプールが有名な場所。 もちろん彼も毎朝のマッシュルーム探しの散歩を日課に、八歳になる息子とハンモック生活をしていた。

 そして何時でも、何処へ行くにも素足。 マッシュルームを探し回るのも、町のマーケットに行くのも素足。 彼の名前は、ジョン・・・そう私は彼を、”ベアフット・ジョン” と呼んでいた。

 今日も彼は早朝のマッシュルーム探しの散歩に出ていたが、季節は乾季から雨季への変わり目、まだ雨が降らずにマッシュルームは壊滅状態。 ベアフット・ジョンは寂しい散歩を繰り返すしかなかった。

 その時私のバッグには、ギリシャから持ち込んだオランダ製のアシッドが大量に隠されていた。 彼にマッシュルームの代わりとして提案すると、翌日彼はそのクオリティーの高さを絶賛した。 それ以後、私と彼は毎日一緒に遊び回るようになったーーーケミカルマッシュルームとメキシカンスモークの、アステカ・マジカルツアー!

 ところでベアフット・ジョンは少し変わった経歴を持った、オールドスクールヒッピーだった。 電気工事の職人として二人の子供を持ち、ごく普通のカナダ人として暮らしていた彼だったが、40歳の時に家出した。 そして森の中に一人、ティーピィで暮らし始めた。 それは近くのクリークから水を運び、夜は焚き火とランプという生活。 もちろん冬は雪に埋もれるが、クリークの氷を割り水を汲み、ティーピィの中に置いた薪ストーブで料理し、暖を取っていた。

 だが数年後に奥さんが死に、その事が彼の生活を再び大きく変えることになった。

 二人の子供と暮らすことになった彼は、街に降りる代わりに森に土地を買い、自分で家を建てることを選んだ。

 森の木を倒すことから始まり、キッチンには1キロほど離れた沢から水を引き、ウッドストーブオーブン。 リビングには大きな窓、ウッドストーブに心地よいクッション、そして柔らかなランプの灯り。 二階には子供部屋、そして窓を大きく開けた自身のスペースにはツリーハウスのようなベランダという、そんな家をDIYの数千ドルで建て暮らしている。

 さて、パレンケに話は戻るが・・・

 カーニバルも終わり、イースター前のエアーポケット状態のパレンケ。 観光客のいないパレンケ遺跡に落ち着いたローカルタウン。 ジャングルにはウオーターホールに自然のプール。 そしてケミカルマッシュルームとメキシカンスモーク・・・カーロス・カスタネダのマジカルツアーのど真ん中。 そんなヒッピーライフの毎日を過ごしていた我々に、いきなりのビッグトラブル。

 それは昼下がりのウオーターホール、マジカルツアーの真っ最中、突然ジャングルから飛び出してきた兵隊に、銃を頭に突きつけられてのホールドアップ。 彼らの目的は、バカな観光客をトラブルに巻き込んでの現金要求。 観光客がいないので、暇つぶしに私達に目を付けたようだ。 

 確かに私達は、大きなミスをしたーーー予兆を無視していた。

 ミスはしたが、金を払う気などまったくない。 向こうが正規軍のアウトローなら、こちらはプロのサバイバー。 私とジョンは直感と感性で、それぞれ別々にまったく違う方法でこのビッグトラブルから逃げ切った。

 しかし軍隊に完全に目を付けられた、私とジョン。 そう、私達はもうパレンケには居られない。

 翌日、カナダでの再会を約束し、ベアフットジョンは軍のチェックをすり抜け、息子とカナダへと。 私は彼が無事パレンケを脱出したことを知人に確認し、次の日にガテマラへと向かった。

 そして、四ヶ月後・・・

 私はガールフレンドと一緒にカナダはブリテッシュ・コロンビアの山奥、森に囲まれたベアフット・ジョンのキャビンのエントランスに立っていた。 そして、彼がこの森に住み始めた時のティーピィ、残されていたそのティーピィに寝泊まりし、カナディアンワイルドライフの楽しい時間をひと月以上過ごした。 ところで、約束を守ること、それはプロのサバイバーとして決して忘れてはならない絶対的なルールだと、私は思っている。

 

 

 

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