レイク・トルカナ

 1980年代、アフリカ旅行がまだまだ良い意味での冒険旅行の香りが残ったいた頃、普通に観光客としてサファリツアーを探すと結構な料金を取られた。 結果タンザニアではローカルバスと徒歩でンゴロンゴロ保護区まで行き、ローカルな宿に泊まり現地で直接ガイドを雇いプライベートでサファリを楽しんだ。 だがさすがはすでに観光大国だったケニヤ、貧乏バックパッカー向けの格安サファリツアーが用意されていた。

 それは軍用の中型四駆トラックの荷台に硬い木の座席を並べ、日差し避けとしての幌を屋根にした開放感しかない特別仕様のトラックでキャンプをしながら十人程でナショナルパークを巡る冒険旅行感満載のアウトドアサファリツアー。 そして最終目的地がケニヤで最も遠い場所といわれたレイク・トルカナへの四泊五日、しかもコースの詳細はガイドの気分と参加者の多数決で決まるというマジカルツアーだった。

 これは想像しただけで面白さは鉄板と、即決したリマと俺。

 さすがはメルセデスの軍用トラック、走る道を選ばない。 メインルート外れた脇道のダートをトラックの荷台、オープンエアーの座席でケニヤの大地を疾走する。 それはアフリカの鼓動、アフリカの息遣いが視覚聴覚を押し潰し全身の皮膚から直接アフリカを圧入される、そんな感覚を覚えながらの移動。

 ケニヤのナショナルパーク、それは広大なサバンナ。 断崖絶壁に隔離されたンゴロンゴロとは違い、数千平方キロメートルの広さの草原を疾走し野生動物を探すワイルドサファリ。 疲れれば百年前のアフリカ冒険旅行を体験するように、遠くにキリンとバオバブが並ぶ景色を眺めながら木陰でイギリス人の習慣としてのティータイム。 退屈すれば気まぐれにサバンナのプールで水遊び、マウント・ケニヤの山頂を眺めにトレッキング。

 夜は川縁の簡素なキャンプ場、サルとカバとワニの注意事項のレクチャーを受け自前でテント設営。 食事はケニヤ人コックが作るイングリッシュサパー。 そして焚き火で迎えるサバンナの宵と晴天に星降る煌めきの夜空はアフリカのマジカルショー。

 サバンナを北上し続けるトラック、走る大地はやがて乾き始める。 そして僅かな灌木だけが散らばる荒涼とした景色はレイク・トルカナが近いことを知らせる。 だが300万年前には鮮やかな緑に覆われた大地が広がり、人類の祖先が暮らしたレイク・トルカナ周辺。 300万年という膨大な時間の流れの中でその姿を変えた大地には剥き出しの岩、そしてその隙間を埋めるのは岩の欠片。 それでも湖の縁には草葺の小さなハットが僅かばかりに並び、そして時間は乾き切った風のように流れる。

 草葺の小さなハットから出てきたのは一人の老女。 トラディショナルな装いをしているが、それは彼女の普段の姿。 サファリツアーのガイドは彼女にお金を渡し、俺たちに彼女の写真を撮っても大丈夫だというが誰も写真を撮ろうとはしなかった。

 観光?

 アフリカ旅行の記念写真?

 俺たちが三日間、ケニヤの大地をアフリカの風を感じながら走ったのは記念写真の束を他人に見せる為ではないーーーそんな思いが心をよぎる。 体に刻み込まれたのはアフリカの鼓動、その息遣い。 そして心に焼き付いた煌めく風の流れる景色は300万年以上前にこのアフリカの大地から始まった命の旅の記憶を呼び起こす。 そう、俺たちがこの三日間から得たものはこの大地に生きる人々への敬意、彼らへの尊厳の想いだったのかもしれない。

 

 

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